卓話「六角巻凧の歴史」

三条凧協会副会長  久 保  敏 男 様
(1988年 8月22日)

◎ 三条凧合戦の起こりは、『三条凧囃子』では元禄5年(1692年)となっているが、慶安2年(1649年)に村上藩の陣屋ができた時と思われる。これは、凧合戦の始まりであって、それに使用された六角巻凧はいつ頃、三条に発祥しただろうか?

◎ “イカ揚げ山”という地名が、保内と柳沢の間の尾根にある。何故この山の名が“イカ揚げ山”と云われているのだろうか?

(1)戦国時代(約800年前)、この山の奥にある姫の城への連絡に、のろしの代わりに凧を揚げた場所。

(2)田、畑の農作業が一段落した端午の節句に、部落総出で物見遊山に行き、凧を揚げた。(700~800年前)

(3)近年この隣尾根に、二ツ山古墳が発見された。中国、東洋仏教では凧揚げは先祖の霊を慰めるための行事であることから、この山で凧を揚げ、仏教行事が行われたのでは?
(1,000年以上前)

いずれにせよ、山に登るため持ち歩きに便利にと、巻凧になったのではなかろうか?そして、六角巻凧は、700~800年前に三条に発祥したと思われる

◎イカかタコか

  凧と云う字は中国、韓国では無い。江戸時代に日本で作られた字である。鎌倉時代までは凧の日本名は無く、中国名の紙鳶(シエン)、紙老鴟(シロウシ)と呼ばれていた。室町時代になってやっと、イカノボリ、イカなどと呼ばれるようになった。

  江戸時代、町民の間で凧揚げが盛んになり、江戸でも、京、大阪でも大人が揚げ、喧嘩をし、凧によるケガ人や死者まで出るようになった。

明暦元年(1655年)に幕府より、「町中にてのイカノボリを揚げることを禁ず」との禁止令が出た。ところが、翌明暦2年には「町中にてのタコ揚げを禁ず」と再度禁止令が出ている。

 これは、京、大阪の上方に対抗意識を持つ江戸町民が、幕府にも対抗し、イカでなくタコだと云って、江戸っ子の凧揚げがますます盛んになり、凧という漢字まで作った証拠ではなかろうか。

三条でも、この禁止令が出されているが、町民の間でケンカ凧があり、1,600年頃より凧合戦があったと思われる。

◎ アメリカで発刊されている凧の専門誌「KITE LINES」に“SANJO ROKKAKU”として、三条の名が固有名詞で全世界の凧キチに知られている。知らないのは、三条人だけだった。

世界のタコの発祥は中国、チベット、ネパールのあたり。紙の発見と竹の産地と云われているが、これが仏教と共に日本に伝わり、日本各地に種々の形の凧が創作された。その中で、三条の六角巻凧はよく揚がり、安定していて、操縦が簡単であり、機動性に富み、それに持ち歩きに便利なため、海のシルクロードを経てヨーロッパに伝わった。この六角凧を使って、1901年にマリコーニは無線の大西洋横断受信のテストに成功している。

◎ この良き六角凧により、凧揚げ技術を習得した私は、釜山、長崎など国際個人凧合戦に参加し、その他の凧の合戦ルールによって種々の国の人と戦ってみたが、凧の操縦技術は、他に負けなかったし、世界に通用することを知った。そして、三条六角凧を使用して、三条いか合戦ルールなら誰にも負けないと思った。

◎ この三条六角巻凧は、世界に冠たるものであることを知ると同時に、三条の誇りである祖先の創った伝統と技術を守り、後輩に伝え、「三条いか合戦」をより盛大にし、三条の名を世界に広める責任が、我々三条凧協会員にあると痛感してきた。協会員だけでは微力である。皆様ロータリークラブの会員の方々の御協力をお願い致したい。

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